自己探究の森

日々の生活の中で感じたことを文章にしていきます。ふとした気づきや共感があるかもしれません。

夢の中の同窓会

私は中学時代の友人らと、電車のような狭い空間で、それぞれの人生の歩みを語り始めた。私はどうにも彼らの中では変わったルートを辿っていると、少し居心地の悪さを感じながら、徐々に口を開いた。元の大学より、かなり低い大学に入ったんだなと嘲笑されている。けれど公務員か、そうか、と保育士でもあることを告げると、皆やや驚いた表情をしていた。

私は彼らの中で、一緒にいた。それは事実である。しかし同時に、まるで自分であって自分でないような抑圧された中で、自分を演じていた。気がする。これは人を信用していない。信頼関係というには、まだ程遠く、いやむしろそれがその頃の我々の育ちとしては適切であったにも関わらず、私はそういった深い信頼関係による安心感を彼らに期待しすぎていたのかもしれない。

人一倍人の目を気にする。今思えばそういう生き方をしてきた。誰からもよく思われたい。どこか安定感が不足したまま、漂うような完璧主義が当時から根強かった。学校、特に小中高などでは、姿勢さえ良ければ評価してもらえたから、だんだんと自分を社会に曝け出すことが怖くなったんだろう、自分の悪いところも含めて、それでも話をする、語りかけてくれる人に職場で出会い、自分の行動力や潜在的な力を認めてくれる人にも出会った。職場以外にも同棲の友人が数人で来た。

私にとって積み重ならなかった過去は、不安と生存の戦いの場であったからだ。社会人になって本当の意味での人の価値や資本というのは、より多言的になっていることがわかった。高い、低いなど安易に優劣のつけられるものではなく、人の思いも数年の付き合いでようやくわかってくる。

人から見るとすごいことが自分では認知できないことがある。私は私の資本を生かしながら、素直さという武器を手に取って、行動と覚悟という技を繰り出しながら、これからの人生を生きていくのだろう。